廃墟と団地と銭湯と猫と海と炭鉱が見たければ「池島」に行こう
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SPOT様「楽しかった思い出の場所記事コンテスト」にて
廃墟にはロマンがあるにゃ賞(特別賞)を受賞しました!
ありがとうございました。
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みなさま、軍艦島のことはどこかで聞いたことがあると思う。
小さな島の上に大きな建物が聳えている様子が軍艦っぽく見えるから軍艦島。
海底炭鉱で栄えた島で、最盛期は5300人が住んでいたものの、主要エネルギーが石炭から石油に移行したことで今は無人となっている。
廃墟として、産業革命遺産として、マニアックな旅人たちに長年愛されている島だ。
ところがこの軍艦島の近くにもう一つ、同じく炭鉱で栄え、さらに今もささやかながら人が暮らしている島がある。
廃墟と暮らしが共存する、その島の名前は「池島」。
長崎駅からバスを3本乗り継いで瀬戸港へ、さらにフェリーで約30分、半日ほどかけてようやくその島へ到着した。
2015年の春のことだ。
■島に到着
港には猫がいる法則にのっとり、池島にも猫がいた。
港から向こうを見渡すと大きな団地が見えるが、池島の現在の人口は100人と少し。
最盛期は8000人近くが暮らしていたという団地は今ほとんどが廃墟になっている。
そしてそれを目当てに来る私のような観光客を案内する人や、閉鎖後の炭鉱を管理する人、島の住民が暮らしている。
■池島炭鉱ツアー
池島の地下にはかつて栄えた巨大な海底炭鉱の跡が残っている。
ツアーに参加すると、地上からトロッコに乗って、地下に広がる坑内の一部を見学することができる。
池島炭鉱の開発が始まったのは1952年。
周囲約4kmほどの小さな池島の地下で、その十倍以上の広大な炭鉱が掘り進められ、
2001年に閉山するまで九州最後の炭鉱として活躍していた。
ひんやりした地下通路の中に、地下を掘り進める大きな機械が何台も置かれている。
あんなのどかな島の地下にこんなものたちが潜んでいるとは、なんだか逆ラピュタみたいな世界観だなと思った。
ふたたび地上に戻り、発掘された石炭が運ばれる地上の設備を見学する。
大量の石炭を運ぶにあたり、炭鉱から島内を渡って港までをつなげる巨大なベルトコンベアが整備されていた。そして港から船が石炭を運んでいく。
まさに、島全体が炭鉱のために作られた島だ。
ジブローダーは、池島のこれが日本に現存する最後の1台らしい。
■島の挨拶は「ご安全に」
そして、炭鉱内の各所で見かけるのが「ご安全に」の看板だ。
坑道が崩れたりメタンガスが発生したりと危険が多い現場で、少しでも事故を減らすよう日々安全管理が行われていたという。
職員は最新の安全キットを持ち歩き、何かあったらすぐ連絡できるよう設備を整えた…が、案内のおじさん曰く、導入した翌年に閉山が決まってめちゃくちゃ赤字を出したらしい。
そんな池島炭鉱はとても高度な技術で作られていて、今でも年に何回か海外の炭鉱事業者が研修にやってくる。
炭鉱は閉山しても培われた技術は残るんだなと、なんだかちょっと嬉しくなった。
■団地廃墟を散策
その後は夕暮れまでふらふら島を散歩した。
私が行った3月末はちょうど桜が満開で、はらはら散る桜と廃墟の取り合わせがとても美しかった。
色々な団地が並んでいる。
これは「8階建アパート」と呼ばれている建物で、昭和45年、どんどん増える島の住民のために作られた当時では珍しい高層アパートだ。
土地の高低差を利用し、1階と5階から入れるようになっている。
他の団地よりちょっぴりオシャレなカクカクデザインがかっこいい。
小中学校があった。
2015年には1人の生徒がいた。今は小学生が1人、中学生が1人在籍しているらしい。
かつて島の中心部として賑わっていた商店街は、すっかりシャッターが下りていた。
池島では当時三種の神器と言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機がほとんどの家にあったらしく、炭鉱がどれほど栄えていたかが伺える。
ちなみに三種の神器は後にカラーテレビ、クーラー、自動車になり、池島にもその流行は来るのだが、徒歩で回れるし駐車場もないので自動車はあまり流行らなかったらしい。
■猫
島内には猫がいっぱい。特に港の待合所、港近くの団地、島の食堂でたくさん見ることができた。
住民に愛されているのか、人懐っこい猫も何匹かいる。
■火力発電所と造水場と銭湯
この大きな機械の廃墟は石炭を使った火力発電所で、更に、ボイラーの蒸気を利用して海水から真水を作る造水場として稼働していた。
ダムや川がない島暮らしは真水の確保が非常に大変なのだが、池島はこれのおかげで増えまくった人口をモリモリ支えて豊かに暮らしていたらしい。
そしてこの島を歩いていると目につくのが、住宅の間を張り巡らされているパイプだ。
これは先ほど紹介した造水場の蒸気を浴場へ、真水を各家庭や施設へ供給していたもので、今はもう使われていない。
が、その供給先になっていた銭湯はまだ島に2つ残っている。
そのうちの1つに行った。
たくさんあるアパートの多くは風呂なしで、毎日汗をかいて働く炭鉱マンやその家族は、当時は島に何件もあった銭湯に通っていたらしい。
その人口を支えた大きな大きな湯船を今日は独り占めさせてもらった。
手足を伸ばせるどころか、ちょっとした小児用プールぐらい広い。
旅人はシャンプーやボディーソープも貸してもらえる。ありがたい。
■島の食堂と宿泊所
夕飯に、池島唯一の食堂「かあちゃんの店」でトルコライスを食べた。
トンカツはソース味だが、ケチャップライスとスパゲッティナポリタンでケチャップが被ってしまった。
文字通りかあちゃんが作ってくれる懐かしい味だ。あと、量が多い。かあちゃんだから。
残念ながらトルコライスの写真しか残っていないが、店内も実家のような味わいで、何よりかあちゃんの笑顔が優しかった。
あの頃の私は廃墟にしか興味がなかったが、今思うと食堂やお店や暮らしている人々をもっと撮っておけばよかったなと思う。
そして夜は池島中央会館に泊まった。
池島にホテルや民宿はなく、宿泊できるのはこの中央会館のみ。
一泊3384円アメニティ付きで6畳の和室に泊まった。
宿泊客はもちろん、釣り客が釣りを楽しんだ後に調理室で自炊、なんて使い方もできるとか。
■廃墟散策2日目
翌朝はふたたび島をすみずみまで探索。
■池島診療所
地図を片手に散策していると、ツタに包まれたひときわ大きな建物が見えた。
島の診療所だったらしい。
病院の廃墟って珍しいなあと思い周囲をぐるぐる見ていると、窓から少しだけ中が見える部屋があった。
物品が残っていると、なんだか人が暮らしていた実感がある。
医療器具が置き去りなのは島から外へ物品を運ぶのが大変なせいなのだろうか。
(※廃墟とはいえ覗きはほどほどに)
■アクシデント発生
残念ながら昨日から天候に恵まれず、滞在中はほとんど雨が降っていた。
次は晴れた日に来れたらなと思いつつ帰りの船を待って港に行くと、窓口のおばちゃんから「今日は悪天候で船が出ないよ」と言われてしまった。
こんなに海が荒れることは年に1回もないんだけど…とおばちゃんは言うが、私はその1回を引き当ててしまったらしい。特技です。
しかし困った。
島旅はこんなこともあるから余裕を持った日程を組んでいたものの、
その日は日曜日で島の商店も食堂もお休み、買い込んだ食料も尽き、めちゃくちゃお腹がすいていたのだ。
とりあえず宿を確保するため中央会館に戻ったところ、昨日炭鉱を案内してくれたおじさんや島で働く人たちがいた。
彼らも船で池島に通勤しているため帰れなくなってしまったらしい。
「島に取り残されてる旅人は君だけだよ〜」と言われたので、コナンだったら今から孤島殺人だなぁと思った。
ありがたいことに島の商店が店を開けてくれて、無事に食料を確保することができた。
物資を運ぶ船も来ない中で大事な食料をおすそ分けしていただいたことになる。
かあちゃんの店も特別に営業してくれることになり、暖かいちゃんぽんをいただいた。
そして島に取り残されたおじさんたちとやけくそでお酒を飲みながら、島が元気だった頃の話をたくさん聞いた。
私が泊まった中央会館が建っている場所は、昔は大きな映画館だった。
学校には1000人以上の子供たちがいて、パチンコもボウリングもカラオケもあった。
炭鉱は3交代制なので、アパートの廊下を歩く時は寝ている住民を起こさないようそろそろ歩いた。
道をまたいで男子寮と女子寮があり、こっそり逢い引きをした。
電話交換手の女の子たちと遊びまくって、そのうち1人が今の奥さん。
島の全盛期は1970年、昭和45年頃だったらしい。たった50年前までそんな景色があったとは、今の静かな池島を歩いた後だとなんだか宇宙より遠いことのように思えてしまった。
ちなみに炭鉱マンはめちゃくちゃモテたらしいが、酔ったおじさんの武勇伝なので話1/4くらいに聞いておく。
■さよなら池島
翌朝無事に雨が上がり、船が出ると中央会館の管理人さんが教えてくれた。
港に行くと長崎からの便で来た旅人が何人か待合室にいて、いいなあ、これから池島を知るんだ、いいなあと心から思った。
私が訪れた2015年から5年が過ぎ、島の猫も、住民も、廃墟のボロ具合も、きっと変わっているだろうと思う。
次に行ったら廃墟のいくつかは崩れているかもしれないし、酔っ払いのおっちゃんも定年退職でいなくなってしまったかもしれない。
生きている島だからこそ、今会えるうちにもう一度会いにいきたいと思う。
愛する池島よ、なるべく長生きしておくれ。コロナが去ったらまた会おう。
【参考】
九州最後の炭鉱「池島」の外より https://blog.ikeshima.info/
WEB写真集 池島 https://ikeshima.info/
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「廃墟にはロマンがあるにゃ賞(特別賞)」入賞